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犯罪者はしばしば彼の犯行をやるほど十分に成長していないことがある。

 ワーカーホリックという言葉がある。仕事に依存し、他を疎かにする人を指す。自分がそれに当てはまるというのは認めたくないようで重々に自覚している難儀な事柄で、たまの息抜きは必要だと部下に追い出すように暇を与えられたのはつい先程のことだ。はあ、と憂いを含んだ溜息を吐き出す。確かに自分は仕事中毒の名から逃れられないようだ。なにせ、貰った休暇すら使いあぐねている。着慣れたスーツで横浜の市街地を闊歩する。なじんだ街だ。行く先こそ浮かばなくとも、その足取りに迷いはない。ぼうとした頭で見る世界は意外と静かである。
「目のクマすごいよ、おまわりさん」
「……ナイス?」
 手持ち無沙汰に首にさげたヘッドフォンを手で弄りながらひょっこりと現れた友人に、やや反応が遅れる。どうやら知らず彼の敷いたテリトリー内にお邪魔していたらしい。
「なに、今日は非番?」
「ついさっき働き詰めは頭に良くないって署を追い出されてね。そういうナイスはここで何を? 事務所にいないなんて珍しいじゃないか」
「俺はちゃんと仕事中。徹夜明けのどっかの誰かさんが危なっかしいから見張ってろってさ。報酬がワンコインでも手は抜かない主義なんで」
「それはご苦労なことだね。では優秀な探偵さんに敬意を表して、お茶でもどうだい」
 奢るよ、と末尾につければほいほいと軽い調子で後ろをついてくる現金な彼に心から苦笑を落とす。この調子では口説き文句とも気づいていまい。ベストのポケットに手を突っ込んで身軽に口笛を吹き、いかにも自由奔放で飄々としたこなしをする彼が、真は底冷えするような冴えと力を欲しいままにするというのだから人は見かけによらない。自分では到底及ばない領域で話をする彼に抱くのは簡単には言いようのないくすんだ暗い感情だ。そのあらゆる事件を見透かすような眼に射られれば、一瞬で青に書き換えられるような類のものだ。青と赤。動けと止まれ。信号機のようにでこぼことしたコンビに果たして自分は混れるだろうか、と考える。答えは黄色で、どちらにも染まりきれない半端者、おそらくそんなところだろうと見積もってみる。
「ん、俺になんかついてる? そんなに見つめられると照れるんだけど」
「ふふ、綺麗な瞳だと思ってね」
「相変わらず、アートは嘘が下手だなあ」
「それは君が探偵だから。探るのが上手なんだよ」
 自分では掴めないものほど綺麗に映るし、獲る欲求は高まる。もしも彼の心に何色かを残せたなら、それは手に入れたのと同じだろうか。馬鹿な思考だが、不思議と悪くはない。まるで犯罪者になった気分でコンクリートを蹴る。夢を見るのもたまには良いものだ。
「それよりほら、着いた」
「……って、なんでここ?」
「ここのマスターが入れる珈琲は美味しいからね」
「それは知ってるけどさ。まあいいか、お前と一緒なら」
「ナイスは直球だな」
「仕返しのつもりで」
「そう?」
「そうだよ。ほら、さっさと入ろうぜ」
 善悪の生を引くというなら、今日は悪だ。自分の背を押す手のひらもまた。
「不器用なのはお互い様じゃないか」