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自分の良心を調教するとき、それはわれわれを咬みながら、同時に接吻する。

 平気だよ見えないから、と男は柔和に微笑んだ。アートは意外にも嘘つきだ、とナイスは思う。下手な言葉を端麗な容姿で補う作戦はなかなかに有効ではあるが、少なくとも今は流される場面ではない。警察を呼ぶぞと冗談を言えば、今度こそアートは笑みをして得意げに語る。嫌だなナイス、警察官なら君の目の前にいるじゃないかと。そろりと衣服の上から下腹部を撫でる細い指先が視界の端に映り込めば、流石にどの口がと反論もしたくもなる。
「アート、ほんとやめとこう。これはアウトなプレイだって」
「具体的にはどの辺りが、かな?」
 何度も同じ箇所を強く擦られ、逃れるようにぎゅっと股を閉じる。はて、アートという男はこんなにも底意地の悪い人種に属していただろうか。曇りのないフロントガラスに浮かび上がる目を細めた物欲しげな表情に罪悪感を覚える。いくら人気がないとはいえ、これがどこにでもある駐車場の一角またその車内で白昼堂々と行う類いのものではないくらいはナイスも分かる。もしも外から見られれば一目で通報される行為を肝心の公安に携わる人材とするのはひどく背徳的だが、そもそもムードを大切にするデキる男はこんな馬鹿はしない。つまりアートは馬鹿だ。普段はあんなにストイックで生真面目の癖に、こんな時だけ本当に馬鹿だ。そしてこの妙な空気に流されるナイスもまた条件は等しい。この車、高いんじゃないの。汚すかも、と少し上擦った声を出せばアートはまた笑った。よく笑うのはこの堅物には珍しい。けれどもへの字よりかはずっと良いと、ナイスは納得して頷いた。勝手な事情の進展に成り行きをいまいち飲み込めずにいたアートは整った顔で静かにこちらの出方を窺っている。それでもスマートに事を進めようと詰めたネクタイを荒く緩めたところで、ナイスは仕掛けた。ねえ、もっと。優位に立ち油断しきった相手を計算ずくで誘えば、案の定ぽかんと隙を突かれた面でアートはいる。それからは場に暫く生ぬるく、かつ甘ったるい沈黙が続いた。アートは注意深く適当な言葉を探しているようだったが、やっと口を開く。
「君のそういう…… まあいいか」
「え、なに、って、うわっ、わっ」
 空いた片手で器用にナイスのズボンのチャックを下ろし、存外冷たい手でくいくいと先を刺激する手つきはいやらしい。すぐ隣にある珍しい銀の髪が柔らかな陽射しに透けてきらきらと光る。とても美しいものが穢れていくのを目の当たりにするのは、白が黒に染まるようで興奮を促した。車内の温度が上がったのか、触れられたせいで熱を帯びたのか、その判別すらつかなくなるくらいの倒錯だ。押し寄せるシンプルな快楽にぶるりとひとつ身体を震わせれば、とうとうハンドルから両手を離したアートが間髪を入れずにナイスの顎を固定し、奪うようなキスに繋げた。角度を変えては何度も舌を吸い、咥内を暴れる深いそれに酔いしれる。きもちいい、と素直な感想を述べればアートは焦れた。
「前言撤回しようか。やっぱり見えるかもよ」
「……っ、んっ、もうそんなのどーでもいいし。それよりアート、あんま余所見すんなよ。萎える」
「下をこんなにしておきながらよく言うよ。嘘つきは逮捕しなきゃね」
「もうされたようなもんだ、ろっ、あっ、くっ」
 蕩けた部分をなじませるようにくるくると弄る動作に無駄はない。迫るギブアップに期待を寄せながら、それでも一方的に与えられるのはプライドが許さず、反撃のつもりでアートの首の後ろに腕を回してぐいと引く。もはやナイスに余裕はなかった。緩急をもって確実に制してくるテクニックにもどかしさを感じつつ、吐息を漏らすので精一杯だ。性に浸る頭に優劣は見当たらず、それはアートも一緒のようである。露骨に長物を扱く仕草に正常な意思はどこかへかなぐり捨ててしまった。ナイス、と切羽詰まりに名を呼ばれ、ひときわ強い刺激が生み出される。窄める形で構えたアートの手のひらに吐き出された精はそのままさっさとポケットティッシュで処理された。あっ、とワンテンポ遅れて飛ばした声はどうにも決まりが悪い。それを誤魔化そうと今度は淫らに、仕返しのような心持で膨張したアートのものに布ごしに爪を立てる。
「……あまり煽らないでくれないか、後部座席はそんなに広くないんだ、この車」
「じゃあどっか適当なとこ入ろうぜ。俺もまだ、満足してないし」
「あのね、さっき言いかけたことだけど」
 君のそういう魔性ぶりは考えものだよ。こほん、とわざとらしい咳払いをしたアートの横顔は赤く、ナイスはそれをとても気に入った。