向日葵と雨

なにやら悪い夢を見ていた気がする。屋根を叩く大きな雨音が閑古鳥の鳴くカフェの一角でうたた寝をしていた自分の意識をゆっくりと醒ます。低気圧と相性が悪い身体が頭の回転をあからさまに鈍らせている。向かいの席で英字新聞に目を走らせていた男が鋭い視線でちらと此方を見て嘆息する。酷い顔だ。その短い感想のおかげで鏡の前に立つ手間が省けた。重い腰を上げて椅子から立ち上がればたちの悪い偏頭痛の質がさらに好ましいものではなくなる。ふらついた足下を誤魔化そうと咄嗟に机に手をついて踏み留まるが、殴るような頭部の痛みは増すばかりだ。そうだ、あれは学園に在籍していた頃の夢だった。自分を取り巻く思惑に嫌気が差したあの日は既に過去のものだ。そんな情景がやけに鮮明に脳裏を掠めるとはついていない。重症だなと言いながらも水と市販薬を用意してくれた相棒に礼を述べ、粒を喉に流し込む。気休めの効き目しか期待出来ないが、冷たい液体が嚥下する刺激には胸が少しすっとする。本日の予定はキャンセルですねと告げる仲介屋の一言に場はお開きとなった。申し訳ない気持ちになりつつ、今回ばかりはありがたい。自然と声量を落とすメンバーにありがとうと言葉をかける暇もなく、ただじっと店内奥のソファで雨が止むのを待つ。横になったことで幾分か気を取り直した身体をごろりと回転させ、うつ伏せになる。瞼を下ろしシャットアウトした世界には自分と雨音だけだ。音は味方だと身をもって知っていたはずなのに、今はその音が煩わしい。耳を塞ぎたくなるそれを首に下げたヘッドフォンでやり過ごす。寝てしまえ。心中で納得させ、そうしてどれくらいの時間が経ったのかは分からない。朦朧とする意識が次に呼び覚まされた時、頭を上げれば多忙でこの場にはいないはずの男が傍らに座り此方を眺めていた。目を細め柔らかく笑んだ男はそっと再び重い頭をソファに押す。まだ寝ていなよ。なんなら家まで車で送って行くから。夢うつつの自分には髪を梳く手のひらの優しさがリアルなのかさえ知れない。だが、夢なら覚めるなとさえ思った。それほどまでに人を安心させる力がそこには働いていた。耳触りの良いしなやかなトーンが症状を癒す。そういえば雨が降る度に彼はこうして合間を縫って現れるのだった。学園に在籍していた際から変わらない暗黙の了解だ。寝ている間に取り上げられたであろうヘッドフォンのありかを聞きそびれ世界は賑やかになってはいたが、もう不快感はない。音はもはや自分の馴染んだ虹色に戻った。この友は昔から特効薬なのだ。半分が優しさで出来てるからか、そりゃないか。まだ具合が悪いのかい、発言がしっちゃかめっちゃかだよ。律儀に独り言を受け取ったらしい彼の心配そうな声色が面白く、釣られるように目を開ける。白熱灯で照らされたシックな天井にひょいと紫とも銀とも映る髪をした男が紛れ込む。ヘリオトープの瞳に心配りが見て取れた。もう起きて大丈夫なのかい。おかげさまで治ったよ。クリアな脳ではっきりと話せば彼は漸く納得してはにかんだ。やはり自分はこの表情が好きだ。にこと笑みを返せば猫にするように頭を撫でられる。君は元気に限るよ。サンキュ。ソファから二人で立ち、こつと床を鳴らす。店の外へ繋がるドアの向こうはすっかり晴れやかだ。電話のベルが響けば少女の声が弾み、すっかりいつもの風景が戻ってくる。
「もう雨は止んだみたいだね」