だからここまで落ちてきて

秀才と天才には決定的な違いがある。前者が努力で得られるものだとしたら、後者は先天的なものだ。人間は生まれつき不平等であると捉えるのは捻くれた意見だろう。だが実際にこの種の弁説を頭から否定するのが難しいのが現代社会というのもまた事実だ。しかし目の前の紛うことなき天才側に立つ少年はあっけらかんと言う。そんなものは人が生きるうえで少しも関係がない。自分で勝手な限界を作り敷いたレールの上を歩くだけなどつまらない。全ては多岐に連なる選択から生まれるのだ、と。
「……君は持つ側だからそんな意見が出てくるんだ」
「さっきの話まだ続いてんの、この状況で?」
 ムードってものを大切にしようよ、アートさん。臀部をなぞる不埒な指先に流され軽薄な判断をくだしそうになるのをぐっと堪える。何の抵抗も見せず簡単に男に組み敷かれ、それでもなお平常を保たれるというのも複雑な心境だ。素早い展開を煽るふしだらな仕種に早まりそうになる自分を抑える。いくらひょんなきっかけから何度も身体を重ねた気が置けない間柄とはいえ、些かガードが甘すぎやしないだろうか。それが彼なりの信頼の現れであると割り切るしかないのが憎らしい。夜勤明けで乱れた生活習慣をそのままに映したかのような皺だらけのベッドに二人、縺れ込んでぎしりと沈む。彼は幾らか興が削がれた様子で、けれどもなんだかんだと会話に付き合ってくれている。固く締めたタイに指を通しするりと緩め行為の続行を促しつつ、次に使うべき言葉の羅列を組み上げていく。恐ろしく頭の回転が速い彼と話をするにはそれなりのコツが必要だ。思考を止めず、常に先を読む。天才の前には所詮は付焼刃ではあるが、寄せる努力をしないのはそれこそ怠慢だ。酷く疲れる作業であり同時に自分の至らない面と向き合うようで辛いところもあるが、優れた人間との会話は何よりの利益となる。
「この際だからはっきり言うけど、君は僕にないものを持っているくせに、傲慢だよ」
「お、珍しくストレートじゃん。嫌いじゃないぜ、そういうの」
「その余裕が癪に障るって、いい加減に気付いてくれないかな」
 語尾と共に彼のダウンベストを引く手元までもが荒くなる。突然加えられた強い力に思わず眉を顰め、一瞬でも態度を改めた少年に幾分か気が清々とする。飄々とした素振りを見せていられるのもどうせ今のうちだ。脱いだスーツの上着を早々に床へ丸めて放り投げる。後が大変だなと片隅では理解しながらも、それよりも今は目の前の据え膳だ。いっそクレバーと呼ぶ方が正しい気さえする冴えた頭脳をぐずぐずに溶かしてやりたい。自分の隣にまで翼をもいで引きずり下ろすのだ。我ながら友人に抱くには行きすぎた歪んだコンプレックスの発露だと思う。けれどもこれも友愛の形なのだと、賢明な彼ならばきっと理解してくれるはずだ。
「これって、甘えてるのかな」
「……なに、痛いんだけど」
「おや、すっかりご機嫌斜めかな。大丈夫だよ、どうせナイスは乱暴なのも好きだろ?」
「そんなわけあるかよ。おいアート、いくら夜勤詰めで溜まってるからって……」
「はいはい、説教なら後で聞くから」
 とりあえず黙ってくれないかな。捲ったシャツの下にある健康的な肌の特別敏感な点をゆるゆると掠めれば快感に過敏な身体は素直に反応を示した。微かな尖りを丹念にこねくり回す。やめろと反抗する可愛らしさにやや欠ける口を自分の唇を当てることで諦めさせ、好きに蹂躙する。最初は触れ合うだけだったそれを徐々に角度を変えて深いものへと切り替えてゆけば、至近距離で見る青い瞳に仄かな熱情が浮かび上がった。しかしまだ足りない。咥内の酸素を根こそぎ奪うように繋ぐ。奥へ奥へと逃れようとする彼の柔らかな舌をしつこく追えば、漸く観念したのか舌先が伸ばされる。彼は此方の執念深さを舐めているらしかった。どんと胸を叩かれやっと離した口元に垂れた唾液を拭ってやり、挑発の視線で笑む。すっかり息が上がりはあはあと浅い呼吸を繰り返しながら、彼はこの行為にはいつまでも慣れる事が出来ないと文句を言った。
「お前とこうしている間ってさ、他のことなーんも考えらんなくなるの。これって不公平じゃね?」
「さっきの意見は撤回かい」
「人間は生まれつき不平等ってやつか。それはそれ、これはこれだろ。そんなことより自分のやってること、ちょっとは反省した?」
「まさか。興奮はしたけどね」
「お前、温厚そうにしてるけど大概底意地悪いよな」
 照明を最低限に落とした薄暗い部屋の中で布の擦れ合う音が生々しく耳を侵していく。だんだんと高ぶってきたのは彼の方も同じらしく、伸ばした指が下着の向こうにあるものを軽く抓ればびくりと内腿が震えた。アート、と上擦った少年の声色が期待と欲とでせめぎ合って切なくなる。普段の彼からはまず想像が出来ないだろう痴態に目が釘付けとなり、これ以上なくそそられる。その物珍しい姿がもっと見たくなって、相手が怯んだ隙に下半身を守る衣服を全て取り払う。無防備に首筋を晒すシャツ一枚になってベッドに縫い付けられた彼にもう逃げ場はない。後は二人で狂ってしまいそうな快楽に落ちていくだけだ。懲りずに口唇を吸えばくぐもった声が静かな部屋によく響く。舌の擦れ合う水音で理性を削ぎ落とし、それと時を同じくして下腹部に緩急をつけ刺激を与えていけば少年は首を横に小さく振って涙を流した。労わるように唇を解放してやればあっ、と一際高い音が漏れる。それに気分を良くして一気に中心を扱いてやれば案外簡単に彼は達した。
「はあっ、もう俺、頭悪くなりそう」
「なればいいのに」
「んー? アート、何か言った、か、って、わっ」
「まさか自分だけ気持ち良くなって終わりとか言わないよね、優しいナイスくん」
 ミニマムを持たずとも鍛えた腕力があれば少年の体勢をベッドの上でひっくり返すことぐらいなら造作もない。果てたばかりで疲弊している彼に敢えて休む間を与えず行為を続ける。家に帰ってくるまでに予めこうなるだろうと二人で購入したローションをベッドの脇に放り出したままだった袋から取り出し、手際よく開封しそのまま適量を少年の後孔に塗りたくる。臀部を突き上げる恥辱的な体位に無言で枕に顔をうずめる彼の羞恥心をさらにかき回してやろうと、再びじわと熱を蓄え反り返ったものを冷たいローションまみれの手のひらでくすぐってやれば声にもならない悲鳴が上がった。
「アート、っあ、やだってそれっ」
「こんなにも嬉しそうにしておいて、嘘は良くないな」
「だめっ、やっ、あ、あっ」
「ふふ、なかなかに唆してくれるじゃないか。それじゃあ今日はリクエスト通りに、荒っぽく扱ってあげるね」
 本来は受け入れる用途を持ち得ないそこを拡張するようにぬると滑る指の腹で大雑把に押し広げていく。時折わざとらしいリップ音を立ててそこに接吻すればやめろよと消えそうな声が漏れ出した。その愛らしい拒絶を無視して押し広げる指の数を増やせばいよいよ粘着音が大きくなり、彼はすっかり口数も少なく黙り込んでしまう。それでは面白くないので枕を伸ばした足で蹴り飛ばせば、思わず此方を見た少年のその真っ赤な顔に優越感が遅れてやってくる。非難する視線がまさぐっていた場所の一点を突いた時、あからさまに逸れた。
「そうか、ここだったね」
「アート、も、いいから」
「そうかい? なら、そろそろ楽しませて貰おうかな」
 再び少年の身体を向き合う形に戻してから、包むような体勢で一心に発散を求めて穿つ。理性をかなぐり捨てた人間は欲望に忠実な獣とよく似ている。
「あっ、あ、んっ、アート、アートっ、だめだこれ、むり、あっ」
「っ、何が、駄目なんだい。こんなに気持ち良さげにしておいてっ」
「これっ、なんもかんがえられなっ、あっ、ああっ」
「いいよ、もっと馬鹿になってよ、ナイスっ」
 そうすれば、そうでなければ、彼には一生届かない。いくら秀才と讃えられようとも、目の前の少年と釣り合えなければ自分が心から満足する日は決して訪れないのだろう。友達と言うには内包する想いがあまりに重く、けれどもライバルと呼ぶのはあまりにおこがましい。処理し切れない感情を彼の身体にぶつけることしか叶わない自分の不恰好が、ただただ悔しかった。達する寸前に引き抜いたそれを少年の腹部に飛ばしてから、しまったと慌ててティッシュで白濁を拭き取る。互いに一呼吸置いてからベッドに横たわり、眠りにつこうとしたその際に、顔を此方には向けずに彼は言う。
「……アートもさ、馬鹿になればいいじゃん。そしたら俺達、お揃い」
「その話、まだ続いてたんだね」
「仕返しだよ。何考えてるかまで探るつもりはないけどさ、俺の前であんま気負うの、止めたら」
「……やっぱりナイスって、ずるいよね」
 傲慢だからしゃーないっしょ。そう笑う少年に、きっと自分が敵う日は来ないのだろう。けれども、薄れる意識の中でひとつ戯言を思い付いた。それも存外、悪くはないかも知れないと。